働いたら、負けだった。第5話

「履歴書が白紙のまま進まない」

退職してから、10日が経った。

最初の2日間は、自由を噛みしめた。

好きな時間に寝て、好きな時間に起きた。

ネットフリックスを見ながら昼を過ぎ、夜は散歩ついでに牛丼を食べて帰った。

だが、3日目から、急に“世界”の音がうるさくなった。

平日の朝。

郵便受けには求人チラシが増え、テレビのCMは「転職支援」「就職フェア」の広告ばかりが目に入る。

近所の学生は冬服に衣替えしていた。

世界は着々と進んでいた。

俺だけが、止まっていた。

履歴書を買いに行ったのは5日前。

コンビニの棚にあったA4サイズの封筒入り、3枚セット。

「必要事項を記入するだけ!」と書かれていたが、

俺には、その“だけ”ができなかった。

志望動機が書けない。

特技も、長所も、思いつかない。

そもそも、何がやりたいのか、まったくわからなかった。

俺は、何のために働くのか?

そう考えた瞬間、頭が真っ白になった。

「……とりあえずハローワークにでも行くか」

口に出してみるだけで、妙に気が重くなった。

出かける準備をしながら、鏡の前で自分を見る。

無職の顔だった。

言葉にできない種類の、だらしなさと、空虚がそこにあった。

いつからだろう――

「働かない=サボってる」と思うようになったのは。

頭では「今は休む時間だ」と分かっている。

けれど、胸の奥ではずっと誰かの声がする。

「何してんの?」

「早く次、見つけなよ」

「35にもなって、これからどうすんの?」

誰も言ってないのに、俺の中の誰かがずっと責めてくる。

机の上に置かれた履歴書は、まだ白紙のままだった。

一行も書けていない紙が、じっと俺を見つめている。

まるで、俺の人生そのものみたいだった。

“何者でもない”時間が、

こんなにも苦しいなんて、知らなかった。


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