エッセイ 会社員というサブスクリプションの限界 

現在の会社員という働き方は、実態としてサブスクリプション型に近い。

企業は毎月一定の費用を支払い、特定の個人の時間と能力へのアクセス権を確保する。利用量には波があるが、契約は継続を前提とし、費用は固定される。

この仕組みは長く機能してきた。

仕事の内容が比較的安定し、必要とされる能力が大きく変わらなかった時代には、定額で人を抱えることが合理的だった。

しかし今、同じモデルが別の意味を持ち始めている。

仕事は変動し、役割は短期間で切り替わる。

必要な能力は限定的かつ一時的になり、業務量も一定ではない。にもかかわらず、雇用は引き続き包括的な契約として維持されている。

その結果、企業は「常に最大構成で契約している状態」に置かれる。

使っていない時間や能力も含めて支払い続ける構造は、固定費を重くし、経営の柔軟性を奪う。

一方、働く側も同じモデルの影響を受ける。

サブスクリプションは、利用されなくても解約されにくい。

その性質は雇用にも当てはまる。成果が明確に切り分けられないため、評価は曖昧になり、役割は際限なく拡張されやすい。

ここで起きているのは、労働時間の問題ではない。

残業代が支払われるかどうかでもない。

問題は、変動を前提とした社会に、定額・長期・包括という契約形態を当てはめ続けている点にある。

サブスクリプションは、利用内容が安定している場合に成立する。

変化が常態化した環境では、過不足と摩擦を生む。

経営側が人件費を「重い」と感じ、

会社員が将来を「不透明」と感じるのは偶然ではない。

同じ構造の、別の側面を見ているにすぎない。

会社員というサブスクリプション型の働き方は、すでに成熟しきっている。

限界が見え始めているのは、努力や意識の問題ではなく、モデルの問題である。

その事実を直視することが、次の働き方を考えるための前提になる。


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